館内のお知らせ・女将の便り

伊達正宗400年の夢・記念展・・・と私

☆旅館女将の花便りです☆

伊達正宗慶長遣欧使節出帆400年・世界記憶遺産登録記念特別展を仙台市博物館にて現在

開催されていますが、伊達家に纏わる遺品、財宝を観てきました。

現在の白石市史と刈田病院史の中に、私の実家のルーツが記載されています。

簡単にまとめますと:17世紀に仙台藩主伊達家当主に京都から招へいされた仙台藩の豪商の娘が

若くして、伊達家の側室に上がり、その後武勲を立てた白石城主・片倉家に召されて白石城内にて

側室として仕えました。その側室は正室のお子たちを優しく遇し、教え導きその孝を認められ、

代々、御殿医をしていた家臣との結婚を許され、以後明治維新まで約300年ほど片倉家に忠誠を

尽くしてきました。。。これが私の実家の始まりです。多くの側室の中で現在でも記録に名を残して

いる数少ない側室のひとりが私のDNAの中にあるのですが、明治維新の動乱後、かつて幕府につかえた

人々の運命が大きく変わり、白石市内においても北海道開拓団として北の地に移住したり辛酸の生活を

強いられる人々が出て、御殿医であった私の曽祖父も新しい時代に希望を託し、一念発起して九州の

長崎に西洋医学を学びに出発しました。

当時は交通事情も最悪で長崎に蘭学を学びに行くというだけで莫大な費用がかかったと

聞いております。

それまでの幕府に忠誠を誓っていれば安らかに過ごせた時代とは違い、東北の人とは違った気質の人たちに

混じり新しい医学を勉強した結果、曽祖父は体調を崩し、白石に戻って間もなく若くして亡くなり、残された

曾祖母はその後家屋敷を手放しながら必死で動乱の中、子供を育てながら生きてきました。

この様な我が家の歴史の苦難について私達子供を気遣い両親から多くを伝えられる事も無かった

私が大学に入ってアメリカ南北戦争後の南部の良家の子女たちのめまぐるしく変わる動乱の時代に

自分自信を合わせて生きる事の出来た人とできなかった人を描いた「欲望という名の電車」の

アメリカンドラマにショックを受けたのは私の中のDNAのせいだったのでしょうか?

因みに、私の父はかつての我が家の栄光や苦労を一度も自慢や悔いた話をした事のない人でした。

私にとって時代劇はあまりにも身近の出来事で(ほんの150年前の出来事なのですから。。)

映画やTVなどで観たり読んだりするのがとても辛く、できるだけ避けてきた経緯がありました。

 

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